= 第2回目(3月号) =

母乳哺育率の国際動向と韓国及び日本の動向

(表1) 崔教授(韓国)の論文から引用 (表2)年代別韓国母乳授乳率報告

(表1)に示されるように母乳哺育率の国際動向は、今、先進国の欧米が80%台に回復してきています。
韓国は(表2)に示されるように1960年代までは95%でしたが、1980年代から急激に低下し始めて現在は10%台に落ち込んでいます。
私が視察に行ったタイは4%台との事でした。日本はその中間で40%台からなかなか上昇しないでいます。
2月号で示しましたように日本は1964年(昭和39年)の東京オリンピック後に急激に人工ミルク全盛期へと突入して行きましたが
30%台で何とかとどまってはいました。そこで今回は日本の動向とWHO/ユニセフの動向を見てみたいと思います。

病院で出産するようになる中で

(1) すぐから母と子を分離し、赤ちゃんは新生児室で哺乳瓶で人工ミルクを強制的にインプリンティングされてしまった事。
そして入院中も人工ミルクを勧められた事。


(2) 入院中にミルク会社から派遣された栄養士によって、人工ミルクの調乳指導が懇切丁寧になされた事。

(3) 退院時には各社のミルク会社からたくさんのミルクのお土産をプレゼントされた事。

  

(4) 「頭の良い子に育てよう!!」「大きいことは良い事だ!!」をモットーに
大学病院の小児科や産婦人科の教授等を担ぎ出して各地で「赤ちゃん大会」を開催し、
人工ミルクで肥りまくった赤ちゃん達を表彰して、人工ミルクの推進を煽って行った。
「研究費という名目で援助金をいかに集めるかが教授の腕の見せ所である」ので、
ミルク会社と縁を切ることは非常に困難であると、ある教授が悩んでおられたことを忘れることができない。

(5) 以前、人工ミルクは高価なものでなかなか手に入れることが困難であったが、
昭和39年(1964年)の東京オリンピック後、日本も高度成長する中で、
人工ミルクを買って我が子にまた我が孫に飲ませられることはステータスとなって行った。

以上のような事が相乗作用となり、日本では1960年代から急激に母乳育児が低下し始め、
1970年代(昭和45年)頃には母乳率が30%台の最低に落ち込んでしまいました。
世界的にも人工ミルクへと突き進む中で1977年にWHOが「粉ミルク販売規制」を出しました。
1981年にはWHO/UNICEFが「母乳権利発表」と「母乳代替品(人工ミルク)の販売についての国際規準の十ヶ条」を出す中で、
日本の厚生省もようやく母乳スローガンを出しましたが、内容はお粗末なものでした。


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